日帰り東京美術館めぐり

新幹線から見えた雲がかかった富士山 美術館・博物館

日帰りで東京に行ってきました。
今まで実家を挟んで、実家の静岡からならまあ…行動圏内かなとか言い訳しながら行ってたのが、とうとう大阪から新幹線で行ってしまった。

大阪から東京まで日帰りで往復ならJRの安いプランがあると以前聞いたことがあって、検索してみると、普通にEXICでのぞみに乗ったら片道13000円台のところ、そのプランを使えばのぞみの往復で18000円程度になるので、片道新幹線で片道夜行バスにするのとほぼ同額。
安いのはいいけどプラン料金なので、日時変更不可だったりキャンセル料がかかったりのデメリットがあるから、天候が原因で運行が乱れるのが怖い。
週間天気予報をちらちら気にして、どうやら大荒れ予報ということもなさそうだと予測できてやっとポチりました。

日時変更できない新幹線の往復指定チケットを持つということは、寝坊は許されない。
そして帰りの時間も絶対に守らなければならない。
そしてトーキョー滞在時間は目一杯使ってあちこち見てまわりたい。貧乏性だから。
そういうわけで、事前に綿密に予定を立てました。

家の最寄り駅を5時台に出発し、新大阪発6時10分台ののぞみに乗車。
座席は選択できなかったけれど、富士山側の窓際席だった。うとうとして富士川を渡る橋のあたりで目を覚ますと、富士山は雲に隠れていた。

東京駅で乗り換えて上野駅に着き、9時過ぎに上野公園の東京都美術館へ。
9時30分開館の美術館のまわりにはすでに長い行列ができていた。
ムンク展、会期最終日。

東京都美術館ムンク展

ムンクといえば「叫び」くらいしか知らないのに何故行こうと思ったかというと、9時前に東京駅に着くものの予定している展覧会の開館時間がどこも10時だったので、モーニングで時間をつぶしてもいいけど、もう1ヶ所なにか見られるな? となり、同日に開催されている展覧会を検索した中で、そういえば中学から大学出るくらいまで仲良かった子がムンク好きって言ってたなーと思い出したためです。その子の思い出のために。
行列がじわじわ進むうちに入場制限がかかったという声も聞きましたが、10時前くらいに入室できました。
結局10時になってる。

エドヴァルド・ムンク(1863-1944)、ノルウェー出身の画家。
若き日の自画像から始まりテーマごとに集められた部屋をめぐり、ムンクの人生をたどって晩年の自画像で終わる構成。

最初の部屋は混雑がひどかったので人垣の後ろからさらっと眺めたけれど、先に進むにつれてしだいに室内に余裕ができて、好きな絵の前に立ち止まることもできた。
「叫び」は後ろからゆっくり。こういう時はそこそこ身長があるのは有利と感じる。
知名度というのは展覧会の構成を決める上で大きな要素なのだなーと思う。
あの素敵な絵たちの中で、「叫び」はそう大きなウェイトを占める作品とは思えないが、そこに人が滞留することが前提で部屋を作って、全体のバランスが崩れるのはもうしょうがない、みたいな…。
感想としては、行く前に想像していたのの100倍くらい良かった。いい経験をした。色彩に心を打たれることというのが身をもって理解できた。
空や海のピンク味をおびた紫は、自分の経験上では少し異質な色彩に思えるけれど、白夜のある国ではもっと自然に感じられる色なのかもしれない。
それから「太陽」の素晴らしさ! 朝日がのぼる喜び! 涙出るかと思った。
そういえば、年をとると色が明るく変化するというの、ユトリロもそうだったなと思い出す。複雑から簡明に。

ムンクは線よりは色かなと思ったけれど、リトグラフのマドンナの感じもとても好き。
絵を見ていて初めて所有欲をくすぐられた。もし部屋に飾るなら、「渚の青年たち」と「メランコリー」を別の壁に掛けたい。
美術館を出た時は、入る前と打って変わっていつかオスロに行く機会があればそこで再会してみたいと思うくらい胸がいっぱいになっていた。

これが地元で見た展覧会だったら、1日の予定を変更してゆっくり公園を歩きまわって余韻に浸っていたかもしれない。
けれど上野駅に戻り、JRを乗り継いで飯田橋駅へ。11時をまわっていたので、駅前のファーストフードで腹ごしらえしてから印刷博物館へと歩いていった。

印刷博物館天文学と印刷展看板

「天文学と印刷」展、こちらも会期最終日。

1455年、グーテンベルグの42行聖書から始まった西洋の活版印刷と天文学の発展の関係。
印刷技術の発展によって天文学の他にも、動物学や植物学などの学問も発展していく様子が、当時の出版物を通して生き生きと感じられる展示。
本を人々が手にすることができるというのは本当に革新的な変化だったのだと思わされる。
それから学者が印刷の技術者、職人を兼ねていたということ。印刷博物館ならではの展示だった。
日本の天文学と印刷のことを見ると、最初は中国語訳を通したものが、直接オランダから輸入されるようになる。ヨーロッパで印刷されたものがそう時を経ずして日本まで届いているということに感銘を受けた。
古い地図や星図ってなんでよくわからないなりに魅力があるんだろう。

展示を見ていて、日本での改暦のことをたぶん何かの小説で読んだことがあるんだけど、改めて面白そうなので何か本を探して読んでみたいと思った。
展示はよかったし面白かったが、館内の暗さで読みづらいキャプションを中腰で読むのには苦労させられた。
基本的に展示に添えられた文章は全部読む派なので、腰へのダメージが蓄積してくる。

外に出て、地下鉄の江戸川橋駅まで歩き、メトロを乗り継いで渋谷駅に移動。
車内で美術館への地図を見ていたつもりだったが、道玄坂を登っていて、なにか違うな? と思い始める。スクランブル交差点を渡ったら文化村通りっていう方へ行くのが正解だったらしい。
これが渋谷のホテル街か…というところを無理やり通り抜けて、なんとか軌道修正できた。

松濤美術館終わりのむこうへ展

松濤美術館の「終わりのむこうへ 廃墟の美術史」展。
廃墟を画題にした絵の展覧会。
西洋美術における古典的なモチーフとしての廃墟、ローマの遺跡の発見、グランドツアーの流行。
ピラネージの絵がいいなあと思いつつ見ていって、そして展示のテーマは廃墟を発見した日本人に移る。
考えてみれば、日本では近世より前には廃墟どころか建築そのものが画題になることも少ないのかもしれない。寺社の境内図とか風景の一部としての建物はあるけど。
伝歌川豊春のオランダの絵なんかは、この時代にこんな絵があったんだという感じ。
ピラネージから50年後には廃墟の絵が一般的というか多数描かれるようになり、お江戸にまで渡り、一介の絵師が目にして自分も描こうとする、その伝播が早い。面白い。

江戸時代は輸入した絵の模写だったが、明治、大正時代になって日本の画家自身が洋行し、自分の目で見た風景を描くようになる。
ソファで図録をぱらっと読んだら触れられていたが、ここで竹内栖鳳の「羅馬之図」があればよかったな。竹内栖鳳展で見たときはその日本画に比べるとあまり印象に残らなかったが、この文脈で改めて見たかった。弟子の小野竹喬の絵があったけど。

続いて廃墟がシュルレアリスムの表現の一部となること。
画家の意識の世界を表現するための廃墟。デルヴォーが複数。その流れを受けた日本の画家の絵を経て、現在の画家の絵と展示は繋がっていく。
現在の渋谷の風景が絵の中で廃墟となり、松濤美術館の内部空間とあいまって、今いる部屋の外がそうなのではないかとぐらつく感覚があった。
廃墟が現代、そして未来のものとなっている、長い時間を、距離を旅するような展覧会だった。

松濤美術館噴水

美術館の建物も、大きな沈み込むソファもよかった。好みでいえば、ピラネージ、不染鉄の船の絵、大岩オスカールが好き。

集中して3件まわって普段だったら消耗しているところだが、いい展覧会を見たせいかなんだか無性にテンションが上がってきて、時間によっては省略しようと思っていたBunkamuraに寄ることにした。

Bunkamuraロマンティックロシア展看板

ロマンティックロシア。国立トレチャコフ美術館所蔵品展。
19世紀後半のロシアの移動派による風景画が主。
19世紀ロシアっていったらドストエフスキー、トルストイ、ツルゲーネフ、チェーホフ…ロシア文学との出会いは人生を変えるといった作家のことを思い出す。その時代の、絵画。絵というよりはその時代への興味で行った。

すんなり入場できたが、展示室はこの日見た展覧会の中で一番混んでいた。
移動派の絵画は写実的で色彩は明るめ、らしい。
ロシア絵画に描かれる自然に他のヨーロッパの国と違う特徴はあるだろうか? これがロシアだ!!っていう。写実的な絵は、見てもきれいな絵だな以上の感想がなかなか持てない。シーシキンの絵は好きだな…と思いつつ見ていったが、イワン・クラムスコイの絵は目が離せなくなる引力があった。
キービジュの「忘れえぬ女」、それから「月明かりの夜」。そこにソファがあったので、座ってしばらく眺めていた。

そして、ロシアではアヴァンギャルドが始まる。

歩いて渋谷駅に戻り、恵比寿駅に移動し、動く歩道をえんえんといったところに恵比寿ガーデンプレイスがあり、その一角に東京都写真美術館があった。

TOP建築×写真展ポスター

ここでは「建築×写真」展を見た。
1章は写真黎明期のものから街を撮った写真の歴史。
チラシによると、現存する最も古い写真は1827年頃、ジョセフ・ニセフォール・ニエプスによる建物の一角だそう。初期の写真技術では動く被写体を撮ることが難しかったため、動かない建築は格好の被写体となったという説明になるほどーと思った。

2章は写真家別に。写真を見た時に、その時代のその場所を体験させてくれるものと、建築家の哲学、建築が持つ美のエッセンスを凝縮したもの。
石元泰博の桂離宮を見ては、これ!この襖の高さの違いで見せる奥行き!と思ったり、原直久のイタリア山岳丘上都市シリーズは先日見たエッシャーの風景画を思い出させられたし、北井一夫のドイツ表現派シリーズは、ああーこれ日本にこの影響受けてる建築あるわーあるわーと思いつつ見た。
二川幸夫の日本の民家シリーズは、写真集がほ、ほしい…民俗学スキーにたまらないやつ。
あと村井修の丹下健三や瀧本幹也のコルビュジェを見てああーとため息をついたり。

これから変化していくものの現在を記録するという言葉は、「廃墟の美術史」を見てきた後だけに、妙に示唆的に聞こえた。
この日見た中では、奈良原一高の軍艦島はそこに人が住んでいたときのもので、そして私は人が住まなくなってからの風景を、観光船に乗ってそこに降り立って見たことがある。

けっこうどの写真を見ても過去の経験から受け取るものがあって、今だからこそこの時間が過ごせたという実感がもてた。
裏返せば、何も知らずにこの展覧会を見たら、過去の日本も海外もただ知らない風景としてしか認識しなかったろうか。その時は写真を見てどんな感想を持っただろうか。
ウジェーヌ・アジェと再会して、最初に見た時はシュルレアリスムの文脈で、次は個展で、そして今回は街の記録としての写真で、見え方は違うだろうか? なんてことを考えた。
写真も「解釈」ができる。純粋な記録としての写真と、これは芸術であるという写真はどこで分けるんだろう。

展示を見終わり、1階のカフェで休憩しようと思ったら、ふつう(に見える)パンが500円とかしてなんて恐ろしい街だと思いながら外に出る。
まあ大阪からわざわざ東京に行くことを考えたら、パンが200円でも500円でも誤差みたいなもんだけど、ここでびびって入れないのが貧乏人なのだよな…と思いつつ、さっさと退散することにする。

次の目的地は六本木ヒルズ。庶民にやさしい店があるか不安になりつつ恵比寿から六本木に移動する。
この日最後の目的地は、森アーツセンターギャラリーの「新・北斎」展。

新北斎展デジタルサイネージ

ここは開館時間が20時まであったので、最後にしていた。
スタバがあったのでシフォンケーキを摂取してなんとかエネルギーを確保して、18時に入場。
混むかなと思っていたが、この日見た他の展覧会に比べるとほとんど人がいないくらいで、拍子抜けした。
北斎はあちこちで少しずつ見てはいるが、昨年「大英博物館プレゼンツ 北斎」というドキュメンタリ映画を見たことで、系統立てて見る機会を待っていたというのがある。

今回は島根県立美術館に寄贈された永田コレクションが中心となって、北斎の人生を主だったペンネームで区切って展示されている。
なんていっても全体の点数が多く、見ごたえはいやってほどある。鑑賞時間は1時間半を厳守だったので、時計を確認しつつペース調整して見たが、空いていたため自分のペースで見られて本当によかった。

何点透視図法とかは説明を読んでも絵を見るときにぜんぜん生かせないのだが、若い頃の絵の中に、メゾティントみたいな遠景があったりしていろいろと試しているのがわかり、オランダから輸入された絵で学んだんだろうなーというのが実感できた。
風景、とくに建物と群衆が描かれたもの、このごちゃごちゃっと描き込まれた感じがとても好き。
しかし富嶽三十六景に至ったときの、近景と遠景の表し方、画面にすべてを描き込まなくなったときがやはり絵として極まってきてると感じる。
それから草体の七福神や、弟子に与えたという山水図巻がちょうかっこいい草体の感じで、これ他の部分も見せてえええとなった。
北斎は色より線だなー。

時間いっぱいまで滞在して慌てて物販で買い物し、東京駅に移動。予定通りの新幹線で大阪に帰った。

今回のお土産

買ってきたミュージアムグッズ、図録やクリアファイルなど

図録は結局2冊。ムンクはいつかオスロに行って本場で買いまわりますね…。
印刷博物館でティツィアーノの解剖書と星図のクリアファイル、ロマンティックロシアでチェブラーシカ…かわいい…あと絵葉書、新・北斎展では諸国瀧廻りの…これ表は阿弥陀ヶ滝、裏が養老の滝でとてもいい。あと最晩年の富士越龍図。展示ではお目にかかれなかったけど映画で見ていたので記念に。

あと東京駅で慌てて家族にラングドシャを買ったが、よく見たら箱にKOBE SANNOMIYAと書かれていた。

1日で展覧会6つは計画しているときにちょっと無茶かもと思っていたが、今回はどの展覧会も集中力が切れることなく(足腰は少し痛んだが)楽しむことができて、けっこう元気だなという自信になったかもしれない。