東京展覧会めぐり 1日目

砧公園の木立 美術館・博物館

今年最初に行く展覧会は東京になった。
新大阪で朝6時台の新幹線に乗る。
今回の上京の計画を立てるにあたって少し考えていることがあった。
3年前からちょくちょく上京して博物館・美術館を巡るようになってきたが、せっかく上京するなら時間の許す限り貪欲に見てまわりたいと、いつも移動時間と鑑賞時間、食事休憩の時間まできっちり計算して計画を立てて実行していた。
それはそれでうまくいっていたし、計画通り遂行できれば満足感もあったが、だんだん今のままでいいのかと思い始めた。
計画をただ消化することを優先して、一つ一つの展覧会にかける情熱が小さくなっていないか、それぞれの見た印象が薄くなっていないかと。
そう、あまりに予定がぎっしり詰まっていて展覧会に対する態度が”鑑賞”というよりは”消化”になっているんじゃないかと。
そういう反省があったので、今回はなるべく計画にゆとりをもたせ、時計を見ずにそれぞれの展覧会を心ゆくまで鑑賞しようと決めていた。

新横浜駅で新幹線を降りてブルーライン、東急田園都市線と乗り換えて10時頃に用賀駅に着いた。
世田谷美術館は駅から少し離れている。バスは本数が少なくて時間が合わなかったので、歩いて行くことにした。駅から美術館がある砧公園の方面へは瓦の道という遊歩道が整備されていたので、地図アプリを開かなくても道に迷うことはなかった。

世田谷美術館奈良原一高展看板

世田谷美術館「奈良原一高のスペイン」展。
奈良原一高の写真を多少なりとまとまった形で見たのは東京都写真美術館での軍艦島の写真だった。
私は旅行で廃墟としての軍艦島を訪れたから、そこに人が住んでいる時代の写真を見たのがとても印象的だった。

この展覧会が彼の写真でなかったら、テーマが元々興味のあるスペインでなかったら、この日その道を歩いてはいなかっただろう。
ちょうど今回の東京行きのちょっと前に奈良原の訃報を目にしたことは、この展覧会を見に行く動機としては影響を受けてはいなかった。
最近までご存命だったのかと思ったくらいで。この時点では。

奈良原一高は1931年福岡県大牟田市生まれ。1956年に初個展。30代の1962年~1965年にヨーロッパで長い旅行をしていた。日本は高度経済成長期の最中で60年安保闘争後、スペインはフランコ独裁政権下。

展覧会はプロローグの『ヨーロッパ・静止した時間』と本編といえる『スペイン 偉大なる午後』から構成される。
ヨーロッパを巡ってその印象を、「パリは老婆のような街」といい、ポンペイやヴェネツィアを「化石」と呼んだ奈良原だが、スペインではフィエスタ・闘牛の熱狂、そして現地の人々と出会う。
人間が不在の都市のプロローグと、スペインで出会った多様な人物が写った写真と対比する形の構成だと思うが、人物不在の風景にも魅力的な写真がたくさんあった。
ヴェネツィアの広場の屋根の上を飛んできてたったいま降り立ったような彫像の足。なにかに映り込む風景。

なんというかよくこんなタイミングのいい写真が撮れるものだと思う。奇跡みたいな構図ばかり。アンダルシアのまぶしすぎる陽射し、そして夜になり同じ街を起き出した猫がやわらかく歩く様子。闘牛も人が集中する円形の闘技場のちょうど正面に牛が走り込んだ瞬間。
ゴヤが描いたみたいな魔女みたいな老婆がいる。山岳都市の貧しさ……洞穴に住んでいた時代からほとんど変わってないような家や、成長してサイズが合ってないのにそのまま着ているのか、ワンピースの背中が不自然にぱっくりあいてる女の子。
写真には時間がない、と思っていた。静止した瞬間を切り取ったのが写真であると。そのなかで、時間の経過を感じさせる被写体が印象に残った。たとえばポンペイの長い時間をかけてすり減った石畳、それからお祭りで盛装した青年を見上げる少年……見方によっては少年が未来の大人になった自分を見ているようでもあるし、青年にとっては過去の大人に憧れた自分でもありそう、そうやって代々脈々と受け継がれている地域の祭りの伝統。
バヤコンディオス、神と共に行けというスペインの別れの言葉は高校生の頃に開高健のエッセイで読んでいて久しぶりに再会した。

印象に残った奈良原の言葉がある。「人生は死によって完成する」
30代のセルフポートレートと直前に目にした訃報、それにこの言葉が相俟って強い印象を残した。
11月に行われたレクチャー「古き貧しさと信心深さースペインはどのように撮られてきたか」が面白そうだった。
写真集にはけっこうな分量のエッセイがついていたということで、それとても読んでみたい。

また歩いて用賀駅まで戻って昼食をとり、渋谷に向かった。

Bunkamuraソール・ライター展看板

BUNKAMURA「永遠のソール・ライター」展。
自分にしては珍しく連続で写真の展覧会となった。

ソール・ライターを知ったのはその伝記映画を柴田元幸が翻訳していて、興味をもち見に行ったため。
映画の中で「私が死んだらこれが新聞にのる」と代表作のプリントを手に笑っていたおじさんには奇妙な親しみを持っていて、その展覧会ならば見に行かなければならないだろう。
それから映画の中で作品を何点も見ていたが、それと実際にプリントされた写真を見るのは違いがあるだろうか? そんなことを考えていた。

50年代、60年代のニューヨークの写真、その時代の小説をいくつか思い浮かべながら見る。当時の風俗を記録したという感じはしない。ごく狭い範囲をただ撮ったというような……見ていてポール・オースター脚本の映画『SMOKE』を思い出す。映画の主人公はニューヨークで毎日同じ場所で写真を撮るという習慣があった。定点カメラっぽいそれに比べれば、もちろんソール・ライターの方が作品性があると思うけれど。
漠然とした写真はモノクロとカラーでは印象が一変する。
色というのは本当にマジカルで、働くおっさんのたるんだズボンのしわすら素敵に見えてくる。
窓越しの風景、雨と雪が窓を通すことによって水滴の質感が捉えられ、にじんだ色彩に目が行く。雪の中信号か何かを待っている男性たちとその前を横切るタクシー? の写真が印象的だった。
セルフポートレートがあり、そこには「(写真家が)自分を被写体にすることで実験的な手法を試すことができる」と書かれていた。自分自身を撮ることにそういう実験の意図があるとは考えたことがなかった。画家が自画像を描くのにも同じような意図があるんだろうか? 人によるのかもしれないが、少なくともソール・ライターが撮影に試行錯誤の実験を行った様子をみると、窓越しのなんでもないような風景もなんらかの意図された効果の表れなんだろうと思えてくる。
構図が大胆というか、画面を思い切った切り分け方をしているのでそこだけ見ると作為が強いようなんだけど、写真として見ていると不自然な感じもしないんだよな。
それから女性の写真がとにかく魅力的。ソームズが美しい。
街を撮ったものは、被写体は写真家を認識していないかのようで、ただ写真家が窓の外を一方的に見ている感じがするが、こちらをしっかり見つめてくるソームズの写真を見ると、写真家をこんな風に見る家族がいたことになんとなくほっとする。
写真から大切な人物が写った部分をちぎりとった宝物。

渋谷から半蔵門線、東西線と乗り継いで竹橋駅に移動する。

東京国立近代美術館

東京近代美術館の「窓」展は窓からはじまるアートと建築の旅という展覧会。窓学総合監修の五十嵐太郎が学術協力している。
窓そのものと言うよりは、意味的な窓、窓の内側と外側にいる者、窓という概念をどうこうした芸術作品が多かった。
もう少し建築方面からの窓もいろいろ見られるかと、行く前に想像して期待していた展示とはちょっとずれがあったがそれでも面白い作品も多かった。

印象に残ったの作品をいくつかあげると、横溝静のStrangerは、「窓越しのあなたの写真を撮りたいから、協力してくれるなら何日の何時に窓際に立っていてくれ」と依頼する匿名の写真家の手紙から始まる。
現実的な自分はどうしても通報案件に思えてしまうが、作品は存在している。
窓をはさんだ匿名の写真家と匿名の被写体の距離で、この奇妙な取引は成立したのだ。

奈良原一高の写真集「王国」にまるまる1室が充てられていた。
さっきまで世田谷で見てきたヨーロッパの旅よりも若い頃の作品になる。
男子修道院と女子刑務所という閉鎖的な施設での写真集から特に窓が印象的な作品が選ばれている。
特に女子監獄で、何人もの囚人がそれぞれ何度も繰り返しなめるように読んだのだろう、くたびれきった女性向け雑誌越しの小さな庭の風景が印象に残った。

西京人の入国ゲートは、美術館の観覧客としてのんびりまわってたのが急にアートへの参加を求められるので居心地が悪い。こういう場所で参加を渋ったら余計に気まずくなるので、思いきって参加してきた。
ThePLAYのMADOは兵庫県立近代美術館のある部屋の窓を取り外すという展示。
リアルタイムでは展示室の場そのものが作品となっていたのだろうけど、それを過去の作品として見る現在は、写真と共にその作品を成立させるための企画書等の準備資料が展示されていた。美術館というハコの意味がきれいに変換されていて印象に残った。
それから部屋をピンホールカメラに変え外の景色を撮影したという山中信夫の写真、窓(部屋に開けた穴)が道具になっている……はなんとなく見入ってしまうものがあった。

山中信夫の写真1
山中信夫の写真2

近代美術館を訪れたのは窓展も気になっていたのだが、工芸館が金沢に移転するので、まだ行ったことのない工芸館を移転前に訪れるのは今回が最後の機会だというのがあった。
外で立っていた案内の方に工芸館の場所を聞いて歩き始めると、わざわざ走って追いかけてくれて、開館時間が残りわずかなのでお急ぎを…!と教えてくれて、なんていい人なんだろうと思いつつ急ぎ足になる。

東京国立近代美術館工芸館

所蔵作品展「パッション20」。
中に入ると立派な冊子をもらってしまった。各作品にはキャプションは置いてなく、各章のはじまりに掲示されていた文章はあまり時間のない状況では咀嚼が難しいものだったので、後でゆっくり読めてありがたかった。

工芸の意味を問い直すような作品は、正直説明がないとみどころがよく分からない。
結局、見てわかる美しさや精巧さにしか反応できてないんだよなー。

黒田辰秋の漆塗りの重箱と螺鈿のうつわ

力の入った展示で、閉館まで40分程度しかなかったのでじっくり見るには時間が足りなかった。
急ぎ足だったが黒田辰秋の作品がいくつかあり、それから階段のところの椅子も黒田辰秋のものと知り少し座ってきた。

階段踊り場に置かれた黒田辰秋の木のベンチ

閉館時間となり工芸館を出て、今回のホテルがある浅草に移動してチェックイン。
少し休んでから上野公園に向かう。
金曜日のお楽しみ、夜間公開が目当て。大きな美術館・博物館が集まる上野公園で夜20~21時まで鑑賞できるって最高の夜。もうよりどりみどり。

いくつか候補のあるうち、国立科学博物館のミイラ展にまず行くことにした。
ミイラに特別興味があったわけではないが、博物館好きを名乗る者としてどんな展示になっているか興味があった。
展示は世界中のミイラを南北アメリカ、古代エジプト、ヨーロッパ、オセアニアと東アジアと地域でわけて紹介している。
私が子どもの頃に考古学ブームも確かあったと思うが、ミイラは学術的な紹介ではなく冒険映画やあやしげなムックで「呪い」という枕詞がついて出てくることが多かったから、なんとなく怖いもの、薄気味悪いものという印象があった。
さすがに今は葬送儀礼の一つの形態としてミイラがあると理解できている。
実際に各地のミイラを次々に目にしても、特に感慨はなかった。
死体を目にしているという感じもなければ、貴重な異文化の遺品を見ていると興奮する感じもなくて、なんとなく冷めた感じで見てしまったが、後から考えてみると、死んだ者はそっとしておくべきという気持ちが無意識のうちにあったからかもしれない。
自然発生的なミイラと人為的に作成されたミイラ、各地域によってミイラにする方法や死生観に違いがあるのが分かった。わかりやすい展示。

エジプトでは王から庶民、ペットの猫までミイラになったという、その数1億5000万人。
現代日本に生きてる者としてはかなりのパワーワードに思えたが、古代エジプトの人にとっては当時の文化にのっとって適切に埋葬したということなんだよな。
そう考えると、日本の即身成仏の方が珍しいといえるかもしれない。

それにしても金曜夜の科博は会社帰りのスーツ姿がとても多くて、ちょっと異様に思えた。
去年の夏に行ったトーハクの三国志展もそうだったが、昼間とははっきりと客層が違うので独特な雰囲気でちょっと面白い。
仕事帰りに国立の博物館に寄れるっていうのはとてもうらやましい。

科博を出てこの日最後に向かったのは、21時まで開いている東京国立博物館。

東京国立博物館東洋館

東洋館の「人、神、自然」アールサーニコレクション、カタールの王族の古代美術工芸品のコレクション。
ミイラを見てきてすっかり気持ちが古代づいていたので、夜の人が少ない博物館で古代の素晴らしい遺物をゆったり見てまわるのはとてもよかった。
トーハクの東洋館やMIHO MUSEUMでけっこう良いものを見てきていると思っていたが、金や宝石が使われたいかにも宝物といったものがあり、さすが王族のコレクションだけある……といつになくいかつい警備員のおっさんを見て思った。

ところでこの部屋の外に大倉集古館から寄託されている夾紵大鑑が置いてあり興奮した。
中国の戦国時代、紀元前5~3世紀のもの。夾紵棺って日本の古墳にあるんだけどわりとレアで、どんな感じなのかと思ってたらそれより1000年くらい前のものが普通にあるんだもんなあ。

21時に外に出てファミレスで軽く食べてホテル帰還。

↓↓2日目の日記↓↓

上京2日目はトーハクで古代充
上京2日目の午前中。ホテルでゆっくり寝て休んで最も気力体力共に充実している時間に充てるのは、もちろん今回の上京の最大の目的、東京国立博物館。開館時間に間に合うように上野に移動した。日本書紀成立1300年「出雲と大和」展。出雲が象徴する「幽」...