キアラン・カーソンの文章を読んで、本を閉じると、目に入ってくる事象の鮮やかさが増す。
普段、「木」とか「花」とか「色」とか大雑把にしか把握していない物事の全てに名前があり、それに充てられる相応しい外国語があり、そこには意味があり歴史があり物語があることを知る。
幼い頃読んだ本に出てくるカタカナ語を見て、想像をふくらませたことを思い出す。
レモネードってどんな味だろう。スカッシュってどんなスポーツだろう。
幼いゆえに無知だった。けれど想像力を駆使した世界はとても色鮮やかだったはずだ。
琥珀、オランダ、絵画、歴史、聖人の事蹟、伝記、植物、神話、ドラッグ、宇宙。
連ねられる異国の言葉、繋がっていく連想は融通無碍で、顕微鏡の視界から望遠鏡の視界まで、ミクロの虫から宇宙まで自由自在だ。
無人島に1冊持っていくなら……とよくある質問だけど、これだと「食べられる野草」とか実用的な本になってしまいそうなので……積みすぎた本に家族がかんしゃくを起こして、1冊だけ残してすべて処分されることになってしまったらどれを残すか?
これじゃあリアルすぎて怖いか。
ええと、もうちょっと自分好みの趣向で、この先座敷牢にでも幽閉されることになって、1冊だけ本を持ち込めるなら、キアラン・カーソンを選びます。
いつまでも、何度でも繰り返し楽しめる果てしない物語と想像力は、ここにある。

