カンタベリ物語【感想】

読書

 14世紀末の4月のある日、ロンドンのある旅館に泊まりあわせたカンタベリへ巡礼に行く人々。
 道中の退屈しのぎに、それぞれが順番に物語をするというお話。

 作者のチョーサーは、商人の家に生まれ、宮廷に仕え、外国に旅行し・・・・・・と、宮廷文化にも町の風俗にも通じ、外国の文化に触れることもできた詩人。この略歴が示すように、階級も職業も様々な人の語る話は多種多様だけど、それでも全体に通じる大きなテーマも読み取ることができる。

 もっとも大きなものはやはりキリスト教で、それぞれの語る話の中の教訓だけでなく、冒頭の人物素描で登場人物たちは、それぞれに「罪」を持っていて、それが風刺たっぷりに描かれている。語られる話の合間合間でも、互いが互いをからかい、喧嘩し、見下しと、にぎやかいことこのうえない。
 そして、最後の牧師の話において、キリスト教における七つの大罪と赦しが語られ、書かれてはいないけれど、人々はみんなちょっぴり悔い改めてうやうやしく頭を下げるという次第。

 それから、処女礼賛と逆に結婚した夫婦間におけるいろいろ卑俗な話題も対比する形で出てくる。
 ある者が、処女を守り抜き、貞節を守り通した貞女の話をすれば、一方では浮気やなんや下がかった話が出てくるという感じ。
 強い奥さんに悩まされる旦那というのもけっこう出てきて、結婚前と後に読むと、なかなか思うところもあるなあ。

 話と話がお互いに意識しあっていると思われる部分は他にもあって、恋のために真剣に生き死にする騎士道精神たっぷりで、スケールのでっかい豪華絢爛たる御前試合が描かれる、わくわくするような騎士の話に対して、次の粉屋の話は、美人を褒めるのにも騎士の話の豪華な形容詞を意識してるんだけど、自分の身近な言葉しか出てこないから、それはそれで生き生きとしているものの、なんかとんちんかんな言葉になってしまってたり。(棒のようにまっすぐとか。なんの話だ。)

  今回、ちくま文庫の西脇順三郎訳、上下巻で読んだけれど、印象としては、面白い上巻と、説教くさい下巻という印象。

 上巻は先述の騎士の話にはじまり、浮気をするためにとんでもない策を練った話や、ファブリオと呼ばれる笑い話、貴種流離譚などなど、けっこう先へ先へと読ませる話が多い。
 中でもバースの女房の話は初読の時からお気に入りで、「女は何が一番好きであるか」という問題を吹っかけられた騎士の話。
 バースの女房の言葉には、思わずにやりとしてしまいます。

 「神様、頑迷な、けちん坊の夫には、ペストを送って、一日も早く、くたばるようにしていただきとうございます。」

 下巻に入ると、物語の面白さよりも寓話として、説教くさいところが目につくようになってきます。話も悲劇だったり、完全にアレゴリーだったり。まあ中には、錬金術師の弟子が錬金術をののしるような時代性のある部分もあって、面白いんですけどね。それに、赦免状売りって聖職というよりは、どう考えても香具師に近い男の悪っぷりは生き生きしているし。

 そして、最後の牧師の話に至ります。

 チョーサーの時代以後、百年戦争、薔薇戦争によって国は疲弊し、教会の質が落ちて、宗教改革に至ると、カンタベリ物語で見られたような聖人信仰もなくなります。
 英詩の父として名高いチョーサーですが、そういった意義や、物語の面白さとは別に、一度読んだ後でも、その時代やその頃の生活の様子、信仰の様子など、歴史、文化、習俗に興味を持った時に、何度でもここに立ち帰ることができる、そんな作品でしょう。