飛鳥京跡苑池現地説明会

お出かけ

飛鳥京跡苑池の現地説明会があるということで、明日香村に行ってきました。
あべの橋から近鉄の急行で橿原神宮前に行き、バスで飛鳥バス停まで移動して、そこから歩きました。

明日香村には大学1年の基礎ゼミの合宿で行って以来、縁があって毎年1~3回行っているのですが、最初に飛鳥京跡からすげー苑池遺構が出たらしいって聞いた時は、夏のゼミ合宿の引率時に、すっかり埋め戻された畑の周りを一体どのへんなんだろーねと言いながら師匠とぐるぐるまわったものです。

飛鳥寺の方から南に歩いていくと、人がたくさんいてすぐに分かりました。
まずは水路から。

ちょっと写真だとわかりづらいんですが、東側が階段、西は砂利敷になっています。

そして南池。

行ってみると、池と不規則な形の中島で、ぱっと見で庭園と認識できますね。
川が近いので、水は川から引いてるのかと思っていたらそういう訳でなく、自然に水の湧く所に池が作られているそうで、この日も水が湧きだして本当に池になっていました。

宮殿のある東側の方が高さがあり、飛鳥川の流れる西側の方が低くなっていました。

中島の北側に柱があり、池内にせり出す木製施設が作られていたとみられると書いてありましたが、その柱の変色から、当時の水深は30cm程で浅いこと、池の底に敷かれた石を美しく見せる構造だったということです。

復元図がありました。わかりやすい。(写真はボケボケた)

南池の南東からは掘立柱建物跡が出て、苑池を上から眺めるための施設じゃないかと言われてました。
写真は掘立柱建物跡から南池を見たとこ。かなり高低差があります。

ひととおり見てまわったあと、昼食は村の中を歩いていて見つけた茶りちゃりというカフェのランチで。

品数が多くて、特に南瓜の炊いたんがほろっほろで美味しかったです。

食後にもう1回現場に戻り、苑池の周りを歩きました。現時点では細い道が敷かれていて、南池の西側まで行くことができました。

それから歩いて橘寺にお参り。

本堂に田道間守の像がありました。
ときじくのかぐのこのみの実を蒔いてやがて芽をだしたのが橘(ミカンの原種)で、それからこの地を橘と呼ぶようになったと伝えられている、そうです。

バスで飛鳥駅に向かい、近鉄で帰りました。