2019年のMONKEY

読書

2019年も文芸誌『MONKEY』だけは継続して読むことができたので、ちょっとずつ書いておく。

vol.17
特集は「哲学へ」。
哲学ってなんだろうとあらたまってみると、なんかこう…よくわからんわ…ひとつのことをいろんな側面から考え抜くことかな?とぼんやり思っていた。大昔の哲人のおもしろ逸話はなんやかんやと目にしたことはあるけどそのくらい。
まえがきではとりあえず

哲学とは世界や人間に関する根本原理を思索によって探求する学問

と定義している。
ところで同じまえがきにあった話で、哲学を英語でいうとphilosophyだけどそれが形容詞philosophicalになると達観とか諦念というニュアンスが出てくるというのが面白かった。「哲学的な」と日本語で書かれていたらそういう雰囲気はあまり読み取らないと思う。

特集のメインはジークムント・フロイトの「精神現象の二原則に関する公式」「神経症および精神病における現実喪失」の2編と岸田秀による解説とインタビュー。
フロイトはまじでまじで読んでて意味がわからなかったが、その直後の岸田秀の自分自身のことにあてはめながらの解説がわかりやすくて、かなり理解できた。

「哲学とはなにか?」なんて思うと接近しようがないけれど、こうしてちょっとずつ読んでいくことはできるっていうことかな。

この号のもうひとつのメインはブライアン・エヴンソンの「レイモンド・カーヴァーの『愛について語るときに我々の語ること』」で、これがもうほんと凄かった。
作家のブライアン・エヴンソンが大学生の頃にレイモンド・カーヴァーを読み感銘を受けて、研究の対象にしたこと、カーヴァーの作品には担当編集者のゴードン・リッシュが大きく関与していたこと…。
作家と読者であり研究者という関係であれば話はもう少し単純だったけれど、ブライアン・エヴンソン本人が作家としてゴードン・リッシュとやり取りしたことで、話はややこしくなっていく。
ブライアン・エヴンソンの半生とレイモンド・カーヴァーが微妙に重なり、徹底的に解体されていく『愛について語るときに』と、語り手と語られてる人と本の内容がシームレスにあっちこっちいったりきたりするっていう。

連載は、古川日出男の新連載がはじまり、それが古川版のカルヴィーノ『見えない都市』の、「(超)聞こえる」話だというんであわててカルヴィーノを読んで臨んだが、どっちかというと古川日出男が現代語訳をした『平家物語』の方だった。そっちが先かー。

最後はジェイ・ルービンが編集した日本文学アンソロジーの刊行記念対談と、村上春樹による収録作品の各解説。
ジェイ・ルービンの名前は村上春樹作品を翻訳して紹介した人として知っていた。ハーバード大学の名誉教授で日本文学の研究者としてどんな作品を選ばれたのかと見ていくと、生半可な本読みではぜんぜん知らん…という作品がたくさん入っていて驚く。これらが日本の外から見た日本の文学を特徴づけているテーマなのか、とかタイトルだけでもいろいろ気付かされる。
村上春樹の解説はほんと丁寧でそれぞれの作家・作品に敬意を払ったもので最高。

vol.18
特集は「猿の旅行記」。
夏はちょうど旅情がほしい…という気分だったので、わくわくブルース・チャトウィンの「僕はいつだってパタゴニアに行きたかった」を読み始めたら、情報量が多すぎて、あっこれは先に『パタゴニア』を読んどかないと味わえないやつとさっさと悟り、『パタゴニア』を読んだ。そういうわけで夏のあいだずっとパタゴニアにいた。

旅は特に自分が興味のあるテーマということもあり、特集はかなり楽しめた。「奇妙な旅文学二十選」とか、池澤夏樹と柴田元幸の対談とか。
対談であげられてた課題図書というのが

ヘロドトス『歴史』
紀貫之『土佐日記』
松尾芭蕉『おくのほそ道』
金子光晴『マレー蘭印紀行』
ブルース・チャトウィン『パタゴニア』

で、まあどれだけかかるかわからないけれどあと4冊、これらを読んでもう一度戻ってこようと思う。
久しぶりに「猿からの質問」コーナーがあったのもよかった。

あと他に特に好きだなと思ったのは、四元康祐の連詩小説「偽詩人の見果てぬ旅」。
イスラエルのガリラヤ湖の西にある町で開催された詩祭が終わったあと、そこに残った国籍も言語も年代も異なる5人の詩人が詩を連ねていく。
詩の読み方なんてまったくわからないなりに、言葉の連なりが凄くかっこいいとしびれる瞬間があった。

vol.19
特集は「サリンジャー ニューヨーク」。
1940年『ストーリー』誌に掲載されたサリンジャーのデビュー作「いまどきの若者」と、1948年の「針音だらけのレコード盤」。
それから雑誌『ストーリー』の表紙を描いていたR・O・ブレックマンのインタビュー。
〆のスコット・フィッツジェラルドの「真珠と毛皮」は1930年代に書かれた作品だけど、主人公の女の子が計算するとちょうどサリンジャーと同世代になるのかな、サリンジャーの親の世代が書いた若者たちの話。

サリンジャーはいちおう『キャッチャー・イン・ザ・ライ』、『ナイン・ストーリーズ』と読んでるんだけど、あまり良さがわからないんだよな。
2018年に50年代アメリカの短編作家の特集があったので、今回は40年代がテーマということなのかな、1冊を通じて40年代の若者たちの声がなんとなく聞こえるような特集だった。

2019年の『MONKEY』ではイッセー尾形のシェークスピアをカバーするという連載がはじまっていて、毎号「これはなんだか凄いものを読んでる気がする…」と思うんだけど、シェークスピア知識がほんとに最低限しかないので、自分が思ってるよりこれはもっと凄いのでは?という気がしてならない。