「バルセロナ展」姫路市立美術館

グエル公園のタイル 美術館・博物館

バルセロナと聞いて最初にぱっと思い浮かべるのはガウディのサグラダファミリアという人が多いんじゃないかと思う。
私もそう。新婚旅行先をスペインに決めたのは、ガウディとアレハンドロ・アメナーバルの映画で見たセビージャの街が目的だった。
その時のツアーは飛行機がエンジントラブルでスペインに直行のはずがロンドン経由になり滞在時間が丸1日減ってしまった。
空港でかなり待たされて疲労困憊の夜にバスから見たガウディは夢の中の出来事のようだった。

夜に見たガウディ建築

なのでいまいちちゃんとバルセロナに行ったという気がしてないのだが、一つだけ言えるとしたら、行く前にガイドブックの写真で見た時はガウディのタイルにはあまり興味がなかったのが、実際にグエル公園でバルセロナの太陽の下で見たらとても良くて印象が一変したこと。百聞は一見に如かず、そこに行って自分の目で見ることは大きく違うのだと20代の時に実感したのは良かったと思う。

ぐだぐだと書いてしまったけれど、そういうわけでバルセロナには思い出というか憧れというかいつかリベンジしたいというかそういう気持ちがある。
なので姫路市立美術館で「奇蹟の芸術都市バルセロナ」展をやると知ったら行かずにはいられなかった。
副題は「カタルーニャ近代美術の精華」。
元々バルセロナはカタルーニャという国の都市で、18世紀初頭のスペイン継承戦争で敗退して荒廃しフェリペ5世によって城塞が作られ、バルセロナを見張る要塞が2つ作られた。

展示は1859年、産業革命で人口が増えて過密化し都市問題が顕在化してきたバルセロナの、イルダ・フォンス・サルダーの都市拡張プランから始まる。都市計画が建築の需要を高めていた。
1862年にキューバ独立戦争があり、植民地で富を得ていた人々の帰国により資金がバルセロナに流入したことにより芸術の需要も高まった。
まあなんか1882年にバブルはじけたらしいけど。
関係はないがこのバブルがはじけるという言葉、8文字でその前の経済的にイケイケな発展時期とその後のしおしおになる衰退時期の両方がいっぺんで理解できてなんかすごいよな。

そして1888年にバルセロナ万博。マスタープランナーはイリアス・ルジュン、ジュゼップ・ビラセカの凱旋門やドゥメナク・イ・ムンタネーのカフェ・レストラン館など。
ポスターを見るとカフェレストラン館がほとんど城だった。
鉄骨構造の採用とスペイン・イスラーム建築の意匠の採用、露出したれんがの使用が特徴的で、これにより構造材を見せる新しい発想と中世の建築へのオマージュが共存することになったそう。そうその折衷の感じがスペインに行って感じた魅力だった。

バルセロナの芸術ということで行く前は絵画や彫刻が主なのかなと思っていたが、都市計画や建築の展示もけっこうあったのは嬉しかった。
バルセロナ建築学校の教師であるムンタネーと、卒業生のガウディとプッチ・イ・カダファルクの「不和の街区」にある3つのカザ(家、住宅)が紹介されていた。
それぞれのカザの部材と共に外観や室内の映像が流れていた。
カダファルクのカザ・アマッリェーはスグラッフィートの壁面、多数のタイルを使用した左右対称の階段状切妻破風。この言葉からはあのファサードは想像できないと思う。

隣り合ってるガウディのカザ・バッリョーからは扉が一枚と組椅子の展示。曲線のこだわり、部屋のすみに角がないのが独特な印象。
そういえば最近藤森照信の本でガウディは規格的な工業生産されたタイルを破壊し再構成したみたいなのを読んだな。

ムンタネーのカザ・リュオー・ムレラはサンルームが各階にあり4階まで連なってるのが印象的。にわとりのステンドグラス。
建築家が彫刻家や画家などを集めて作り上げる総合芸術としての建築。
実際に住む住宅としてはかなり過剰でどこに目を向けても装飾が過多で落ち着かないように思えてしまうが、富の発露としてはそんなもんなのかなー。
色が細かに異なる多数の寄木象嵌であらわされた庭の婦人や、コーナーテーブルにも寄木でバラがあったりするの。
ひとつ知ったのは、ガウディはなんかごてごてしてて貴族や富裕層のための建築家だったのかなーと思っていたが、キリスト教をテーマにするサン・リュック美術協会に所属し、1881年にマタロ労働者組合社の建築計画などもしているということ。
富がバルセロナに集まる一方で格差が広がる、労働者がテーマの絵もいろいろとあった。

絵画の流れとしてはパリから影響を受けたムダルニズマがあってエル・グレコを発見・再評価して影響を受け、ピカソが初個展を開いた四匹の猫の紹介。
20世紀に入るとそれを批判してカタルーニャナショナリズムの高まりがあり、ノウサンティズマ(1900年代主義)が起こってくる。政治と結びついて民族性を地中海文明に見出すよりローカルな表現様式。その精華は1929年の国際博覧会に結実した。
1888年のバルセロナ万博はシウタデリャ要塞の跡地で、国際博覧会はムンジュイックの丘でと、それぞれがかつてバルセロナを監視するための要塞の跡地で開かれている。
バルセロナを閉じ込める象徴が国際的に開かれたバルセロナの象徴へと反転しているというのに強い印象を受けた。

そしてダルマウ画廊で個展を開いたミロ、ダリ。
ナショナリズムが流行ったカタルーニャもシュルレアリスムを受容していた。
やっぱパリが近いから、パリの影響を受ける→自分たちの独自性を探す→影響を受けるとゆるやかに推移するなー。家具なんかもアールヌーヴォー風のものがあったし。

建築としては1929年に「新しい建築」展があり、ミース・ファン・デル・ローエやコルビュジェなどモダン建築の最先端の影響を受けようとしていた。
コルビュジェが参加した新たな都市計画も立ち上がる……しかしそこでスペイン内戦。

1937年、スペイン内戦中のパリ万博にはピカソのゲルニカが出展された。

展示を通して都市が解放され、自由を謳歌して拡張していくのを見て、そしてそれが内戦によって不意に断ち切られる。
狭い場所に閉じ込められた2人の女性を描いた、内戦によって都市計画が立ち消えになったコルビュジェのリトグラフで展示は終わる。

ガウディ、ピカソ、ダリ、ミロなどの背景がよく分かった。めちゃ勉強になりました。
あと印象的だったのは、ミケロ・ウトリリョのシュザンヌ・ヴァラドンの肖像があって、名前がこの表記だったから最初あれっ?と思ったが、ユトリロを認知した画家とユトリロの母やん! 伏し目がちであまりきれいには見えない女性。この瞬間だけ姫路市立美術館で過去に見たユトリロ展に心が戻っていた。
あとピカソが描いた友人のカルラス・カサジェマスの絵は、自殺する前の肖像だというのに既に不穏で、彼の自殺をきっかけにピカソが青の時代へと入っていくという知識があるから不穏なのか、いややっぱただごとではないわこれはという感じだった。
あとスペインらしさと言われて思い浮かべるのは、ヌネイの描いたジプシー女のシリーズかもしれないなーと思った。
ガウディに協力して家具デザインをしたジュゼップ・マリア・ジュジョルの商店のドアの把手は鉄彫刻で貫かれた心臓がついているのとか、ジュゼップ・リモーナの初聖体拝領の少女が良かった。

この日のおみやげ。

バルセロナ展のグッズ、トートバッグ、メモ帳など

ガウディグッズがいろいろあったので、つい買ってしまった。カザ・バッリョーのトートとタイルのノート、不和の街区のしおり、あとホットチョコレートの素。