茶の湯の展覧会

泉屋博古館中庭 美術館・博物館

2021年の秋からお茶に関係する展覧会をいくつか見て、自分の中でつながっている部分があるのでまとめてメモしておこうと思う。(長いです)

まずは京都国立博物館の「畠山記念館の名宝」展。
東京都港区白金にある畠山記念館を創立した畠山一清は、能登国主畠山氏の後裔で、荏原製作所の創業者だそう。号は即翁。
コレクションはさすがに国立博物館でやるだけあって見応えがあり、一室をなめるように見て、次の部屋に行く前にあれをもう一度目にしておこうと少し戻っては見返すようないい品がどの部屋にもある感じ。
牧谿の煙寺晩鐘図、雪村の竹林七賢図、それから酒井抱一の十二の花鳥図……なんとも贅沢。
他に印象に残ったのは本阿弥光悦の赤楽銘雪峯、俵屋宗達が下絵で本阿弥光悦が字を書いた古今集和歌巻。
京博を上から順に見ていくと、だいたいいつも1階の最後の部屋は力尽きていてさらーと一回りするんだけど、最後の最後に継色紙、升色紙、寸松庵色紙の三色紙とか、どれだけ贅沢なんや…と震える。
後期に行ったんだけど、前期の〆は藤原佐理の離洛帖だったらしい。それも見てみたい…。

茶会の写真を見ると、同席の逸翁とかほかの人がまあ年相応に背が丸まっていたのに対して、即翁はとにかく背筋が伸びて姿勢がよいのが印象に残った。まるで武士みたいな……それとも能を演じたというから、そのためなのかな。
コレクションの中にけっこう琳派があるなと思った。金沢に何度か旅行に行って見た歴史的建造物の中で美しいなあと思った経験と通じるところがあるような気がして、金沢の人、金沢の美意識という印象を受けた。きれい。
いつか上京の機会に記念館を訪れてみたい。

泉屋博古館「伝世の茶道具」展。
仁清の水指が展示室の外に置かれて、美術館の中庭をバックに明るいところで見られたのがとても印象的だった。
茶道具に興味をもったきっかけははっきりしている。北森鴻の『狐罠』が面白くて、それでたまたま本屋で見かけた『眼の力』、谷松屋戸田商店の11代目戸田鍾之助さんの聞き語り本を買った。

自分の中での茶道具の知識はこの本が基礎になっているが、この中で住友家のコレクションの話がちょいちょい出てくる。

展示室に入って冒頭は佐竹本。
大正時代にあまりに価値が高くて買手がつかず、分割され希望者にくじ引きで割り当てられたという三十六歌仙絵巻。春翠さんが引いたのは源信明だった。
ここには何度か訪れているが、小井戸茶碗銘六地蔵にお目にかかるのは初めてかもしれない。これも『眼の力』で読んで名前を覚えていた茶碗の一つ。
鍾之助さんの三代前の戸田露吟が住友家に収めたけれど、あまりに高額だったのでしばらく出禁になったというエピソードが書かれていた。
展示の中でどれだったか忘れたが、戸田商店の主人の名前が見えて、自分にとってはそこから興味が始まっているので特別な感慨があった。

展示台には畳が敷かれ、茶道具が京博よりも低めに置かれている。実際に茶会で目の前に置かれたのに近い角度だろうか。
だいたいどこに行っても茶碗の見込みを見るには背伸びしなければならないので、新鮮に感じた。

茶道具そのものも素晴らしいけれど、それを包みしまう仕覆や箱も良い。
表装のところで大阪の表具師の名が出てきて、大阪市立美術館の聖徳太子展のときにコレクションで「井口古今堂と近代大阪 ― 船場の表具師と芸術ネットワーク ―」という特集を見たのがまだ記憶に残っていたのでちょうど良かった。
ここのコレクションは基本的に表装が豪華なんだけど、逆にシンプルなものがあり、お寺さんとかから譲り受けたそのときのままにしてある物もあると知った。

そういえば砂張舟形吊り花入の松本舟が展示されていた。
畠山記念館展での針屋舟と合わせて天下三舟のうち2つを秋に見たことになる。じゃあ三舟の残りひとつは何?と調べたら、淡路屋舟といい野村美術館所蔵だそう。それならそのうちコンプリートできるかもしれないな。
関係ないが、近代の茶人の道具収集のエピソードを見るとちょいちょい野村徳庵の名前を見かけるので、また争ってる…とにやっとしてしまう。
花入れは写しかなにかで実際にお花が入っているところを見てみたいな。

泉屋博古館のコレクションは何度か見ているものもあるので、理解が深まった部分もあるけれど、お茶をやっていないから知らない言葉、知識があり、自分がそれを知らないということがようやく分かってきた気がする。

この展覧会で最も印象に残ったのは、千宗旦の一行書「日々是好日」だった。
言葉そのものの印象としては、順風満帆な人生というか、なんとなくぽかぽかした日に昼寝でもしているようなのんびりした良い日というイメージを持っていたが、この書をひと目見てそうではない、思い違いだったとわかった。
人生はいい時ばかりでない、むしろ逆風が続く時もあるが、どんな日であっても「好日」にするという意思。日々を「好日」にするのは自分自身だと。
元は碧巌録に出てくる中国の禅僧雲門文偃の言葉なんだそう。自分の解釈が適切かどうかはわからないが、この書を見たときに自然と姿勢を正そうと感じた、それを大切にもっておこうと思う。

大阪くらしの今昔館「大工頭中井家伝来 茶室起こし絵図」展。

茶室起こし絵図展チラシ

江戸幕府京都大工頭の中井家伝来の、重要文化財に指定されている資料のうち、茶室起こし絵図を中心にした展覧会。講演会に参加申し込みをして、それに合わせて鑑賞した。
茶室の間取りを切り込み紙を立たせて立体的に見せる茶室起こし絵図。
貴重な茶室のものも残っていて、資料としてとても価値があるものを見ているのは分かるが、図を見てそれを頭の中で具体的に想像するのが苦手なので、それ自体を鑑賞という域にはなかなかいけなかった。なので講演が聞けたのはとてもよかった。
その日の講演は「数寄大名小堀遠州と大工頭中井大和守」と「大徳寺塔頭玉林院の茶室「蓑庵」と牌堂「南明庵」の建築にみる大工の技ー数寄屋大工と堂宮大工の協同ー」の2本立て。

中井家初代中井正清は関ヶ原合戦の後、伏見城の再建で徳川家の城郭作事を担当した。
古田織部と小堀政一(遠州)と作事について相談する文書が残っていて、この時織部61歳、遠州は家督を継いだばかりの26歳、正清40歳。
肖像を見ると、織部と遠州は深緋、中井正清は黒の束帯姿で描かれている。織部と遠州は従五位下、中井正清はその上の従四位下なんだそう。大工から大名に匹敵する出世。
束帯の色で位階がわかるというのは今回新しく得た知識だった。
それでなんとなく家康と秀吉はどうだったかなと肖像画を検索してみたんだけど、どっちも太政大臣までいって没後正一位……家康は黒で、太閤さんは……なんか白なんだよな……。
色のことは面白いので、宿題とする。

脱線したが、中井正清はそれから二条城、江戸城、駿府城、名古屋城、内裏、方広寺大仏殿、知恩院、久能山東照宮、増上寺、日光東照宮、江戸の町割りなど錚々たる建築に大工の棟梁として携わっていく。経歴がすごい。そんな中井家に伝わった文書はそれはもう貴重なものだろうなという気しかしない。

講演で得た知識として、あと小堀遠州の伏見小屋敷にあった飾り棚が、展示にもあったがけっこう派手な意匠で、きれい寂びといってなんとなく想像していたのはもっとシンプルな感じだったので意外に見えた。
松花堂昭乗の滝本坊と伏見奉行屋敷の一部を復元した茶室が静岡県島田市のふじのくに茶の都ミュージアムにあると聞いたので、いつか機会があったら行ってみようと思う。

展示室内に竹中大工道具館蔵の大徳寺蓑庵の実物大模型があったが、それの詳しい話も聞けてよかった。

最後に逸翁美術館「千家十職」展。
千家、裏千家、武者小路千家の三千家に出入りする十の職方。
これまで茶道具をいろいろと見てきて、だんだんそれを作る側の名前も目にしてきて、ここで整理してみようという気持ちもあり行ってみた。
逸翁美術館は今回3回目だが、毎回学ばせてもらったという感じがする。
以前見た「わびとサビとはどう違う?」展もブログに感想を書いてなかったのでここで少しメモしておくが、わびとサビをジーンズで例えて、ジーンズに開いた穴が詫び(個性)、色落ちが寂び(変化)と説明されていたのが面白かった。
侘びを不完全なもの、固有、Incomplete
寂びを変質、無常、Impermanent
として、茶の世界では「粗い」は「素朴」、「歪み」は「愉快」、「壊れ」は「個性」、「褪せ」は「枯淡」、「剥げ」は「穏和」と価値が転換し、それぞれに当てはめた茶道具が展示され、わかりやすかった。

さて、十職……つまり十家がそれぞれ十何代目くらいいるからとにかく登場人物が多い。
コレクションの展示だから、全員が律儀に登場するわけではないけど、それに加えて千家の家元の名前も出てくるからね……。
十家の歴史をそれぞれ見ると、天明の大火(天明8年/1788年)の被害は等しく大きかったんだなとしみじみ思う。大谷大学美術館で見た「東本願寺と京都画壇」展でも説明の中で「京中丸焼け」って書いてあったしな……。そこで道具や資料が持ち出せた家と焼けてしまった家と。それをきっかけに自家の歴史をまとめようとする代も出たり。

茶室起こし絵図展で、中井家の初代正清の400回忌をやったという話を聞いて、すごっと思ったんだけど、樂家も初代長次郎の300回忌を明治時代にやっていて、やるんだなあ…みたいな感慨があった。

展示では、黒の棗はいつまでも見ていられるのと楽茶碗の黒から滲み出てくる朱がとてもよかった。
もしひとつだけ好きなものを持ち帰っていいと言われたら、青磁に黒い塗りの蓋を合わせたやつ。はっとするような色の取り合わせだった。

今回の展示を見たことで、たとえば泉屋の伝世の茶道具展の目録を見返して、楽茶碗は一入、了入、旦入と名前があるなとか、金物師の四代中川浄益、釜師の大西家は浄玄、浄寿が出ていたなとか、まだ何代目と作風までは結びつかないけれど、これからの鑑賞のとっかかりになったと思う。