京博のお正月と岸田劉生

京都国立近代美術館の岸田劉生展の看板 美術館・博物館

2月のはじめに、そういえばうかうかしていると京博のお正月の特集展示を見逃してしまうと、京都に行ってきた。
特別展をやっていない時期の京都国立博物館はあれこれ特集展示をやっていて、それがかえって見ごたえがある印象があるので、なるべく行くようにしている。

今回考古室では、「四国の弥生土器と弥生・古墳時代の生産ー辰砂と鉄ー」という特集があり、愛媛の土器と、徳島の朱(辰砂)、大阪府柏原市の鉄の生産遺跡が取り上げられていた。
徳島県阿南市の若杉山遺跡は前にも京博で見て、辰砂の生産遺跡なんてあったんだーと印象に残っていたが、今回はそれが詳しく紹介されていた。しかもカラーの資料を配布していて、とても参考になった。

前にも書いたかもしれないけれど、ここ数年京博の考古室がけっこう熱い。地方色のある、そこの地域の資料館に直接行かないと見られなかったような遺物を紹介してくれる。
愛媛県今治市の阿方遺跡で発掘された阿方式土器は、四国地方の前期弥生土器の基準なんだそう。同じ遺跡出土の遠賀川式土器と比べると、系統を引きつつも装飾がついて豪華になっている。

鉄では京都の和束町原山古墳出土の5世紀の帯金鋲留式甲冑が初めて見るものだった。それは歩兵用の武具で日本列島独自のスタイルなんだそう。
これまで古墳から出る鉄製の鎧といえば小札を綴じ合わせたものと思っていたが、それは後期になって馬に乗るための鎧らしい。戦に馬が使われるようになる大きな変化がその時代の間にあったことが実感できた。
初めて見たといえば、柏原市田辺古墓群8号墓。塼を4枚並べてその上に火葬した骨を置いて、それを覆うように大きな須恵器を伏せた状態でかぶせた形も初めてだった。柏原市のサイトを見たら、同様の例が岡山県でも発見されているそう。
それから徳島の田村谷銅鐸、美しい六区流水紋、愛知県犬山市の東之宮古墳出土品など。

今期の特集展示のひとつ「後期古墳の実像ー播磨の首長墓・西宮山古墳ー」。
ここ出土の特殊な須恵器、子持壺でさらにミニチュアの人や動物などがついているやつ…は京博で以前にも見たことがあって、面白い土器が出た古墳と名前を覚えていた。
この古墳は副葬品が埋葬したときのままの状態で残っていたらしい。
全長35mと聞くとそう大きな古墳ではないが、副葬品は規模に比してかなり豪華に見える。当時の写真パネルもあり、副葬品の全体像がわかってとてもよい企画だった。

考古つながりで、新収品特集の中に、伝牽牛子塚古墳出土の夾紵棺断片があって、そんな貴重なものがどこから出てきたのー?とびっくりした。
横に参考展示で90年代の収蔵品で、乾漆像かなんかの断片かと思われていたのがどうも夾紵棺の断片らしいというものがあり、研究が進んで後から違うものと判定されることもあるんだなーと思った。

だらだら書いていたら考古の部分だけでだいぶ長くなってしまったが、新春特集といえば干支づくし。
寅年で、京博の公式キャラはトラりんであるからして、当然トラりんのモデルとなった尾形光琳の「竹虎図」でスタート。グッズなどでよく見かけていたが、ちゃんと見るのは初めてだった。
江戸時代の終わり頃まで多くの日本人は虎を実際に見ることはできず、伝わってくる絵や物語の中の存在だったという。
虎とは勇猛果敢なものというイメージがまずあったとして、ここでは虎のそれ以外の面が見られるものや、たとえば子ども用の火消し半纏に刺繍された虎とか、猛々しさと小さな半纏のようなギャップのある取り合わせが印象に残った。
中国では虎は安産とか子育ての意味もあるそうで、虎が3匹の子を生むと、その中に必ず1匹の豹がいるという話が紹介されていた。これから虎の親子の絵を見たら、豹が紛れているかどうか注意してみよう。
あとは妙心寺の豊干と虎図がもうめっちゃ好きだったのと(グッズお願いします)、推しの後陽成天皇の龍虎梅竹がよかったのと、十二類絵巻の中のタヌキの強さと、竹と一緒に描かれていればきっと虎というのが印象に残った。岸駒の虎もよかったな。

新収品特集では、円山応挙関係資料が量があるようでこれから少しずつ見られると思うので楽しみ。
それから若冲の百犬図とか、池大雅の竹石図はこんな線も描くのかーとこの間名古屋で池大雅を見たばかりなのにまた新たな発見をした感じがした。それから徳川家光画の梟が紛れていた。
やっぱり癖がある。春日局に縁がある稲葉氏に伝来したものらしい。

京博を見終わって、バスで東山に移動した。

京都国立近代美術館では「岸田劉生と森村・松方コレクション」をやっていた。
美術館が2021年に個人コレクターから岸田劉生の作品を一括収蔵し、館が所蔵する岸田劉生作品が50点になったということで、それらがすべて公開されていた。
タイトルに名前が入っている森村義行と松方三郎は、国立西洋美術館の松方コレクションの松方幸次郎の弟らしい。なんかすごいなコレクター兄弟。
あと岸田劉生の大きな支援者だった芝川昭吉と、芸術家を支援した側が紹介されていた。

岸田劉生を知ったのは、なんの授業だったかも忘れたが、中学生のときのフルカラーの参考書みたいなやつに載っていた麗子像で、かなり個人的な理由でいい印象がなかった。それだけだったら、たぶんわざわざ見に出かけることはなかっただろう。
なんか気になると思ったのは、泉屋博古館の「フルーツ&ベジタブルズ」展で野菜を描いた静物画をいくつか見てから。それから兵庫県立美術館で見た壺の絵にはとても惹かれていた。

初期の絵は、「言われてみれば○○風だな」と感じる絵がけっこうある。言われてみればウィリアム・ブレイクだなあ、とか。
人物、風景、静物、画材も色々使っているけれど、その中で見ていてやっぱり惹かれるのは油彩の静物画だった。壺の肌の感じ、冬瓜の表面の感じ。
渡欧のためのお金を貯めようと満州に行くが体調を崩し、山口で38歳で亡くなる。
「フルーツ&ベジタブルズ」は図録を買っていたのであとで確認してみたが、紹介の仕方でかなり人物像って変わるなあと思った。
今回は春陽会から脱退したことが強調されていたと思う。敵も味方もいた。

コレクションの方に、同時代の西洋の画家の作品がいくつかあった。
もし渡欧してこれらの絵を見ていたら、岸田はどんな絵を描いたのかなと想像させる。わからんけど、ユトリロが思いがけず見られたのでちょっとうれしかった。