「大雅と蕪村」と「ミニマル/コンセプチュアル」

大雅と蕪村展入り口 美術館・博物館

昨年行った展覧会の感想を書こう書こうと思いつつ、しばらく文章そのものを書いていないとなかなか手がつけられないでいるうちに、今年の日記も積み上がっていってしまうので、とりあえず新しい方から優先して書くことにした。

今年最初の展覧会は名古屋市博物館の「大雅と蕪村」となった。
大雅と蕪村はこれまでもあちこちの展覧会で少しずつ作品は見たことがあり、特別好きだという感じではなかったが、蕪村は自分が好きな呉春の師匠だし、なぜ京都の大雅と蕪村の展覧会を名古屋でやるのかが見れば分かる、名古屋市博ならではの展示だと評判がよさそうだったのに興味をひかれた。

まずは日本での文人画の先駆者として名古屋出身の彭城百山が紹介される。彭城はさかきと読む。
最初は芭蕉の弟子の各務支考に師事して俳句を志し、後に絵を職業にして法橋位まで行った人だそう。
中国の絵画や画譜を参考にした百三の山などの描き方を見てから池大雅や蕪村の絵を見ると、共通する要素がわかってなるほどーとなる。

京都生まれで小さい頃から書を学び文人画を描いた池大雅と、摂津生まれで俳諧を志して江戸に行き、芭蕉にあこがれて旅をして40歳を過ぎてから京都に住んだ与謝蕪村、同時代ではあるものの経歴はだいぶ違う2人の名前は共作の画帖、国宝「十便十宜図」で並ぶ。
李漁の別荘についての詩を元にして、文士の理想の住まいを、十便=10の便利さを大雅が描き、十宜=10の自然のよろしさを蕪村が描いた。
これは以前川端康成のコレクション展で見たことがあった。
確か川端康成も、十便十宜図を手に入れたことで自分のコレクションに箔が付いたようなことを書いていたと思う。うろ覚えだけど……。でも、そこで見たときは背景もわからず、見てもあまりなんとも思わなかった。
画帖という性質上展覧会ではそれぞれ10枚あるうちの1枚ずつしか見られないので、ここでカラーの解説付き鑑賞の手引をいただけたのは本当によかった。連続して見ることで良さがよりわかってくる。

この展覧会では、2人に十便十宜図の制作を依頼したのではないかとされる、鳴海宿の下郷学海が紹介される。描いた側ではなく依頼した側の文化的な素養、李漁の詩を絵にしてもらいたいという動機の背景になる園林文化への憧れ。文化人とそれを支えるスポンサー側の交流。武家でも公家でもない、町人の文化交流。
丁寧な文献の扱い方。書簡の大意がパネルになっていたり、ここだよって部分にマークしてあったりで、展示がとてもわかりやすい。
大雅と蕪村の展覧会ではあるけれど、芭蕉の名前がよく出てくる。
下郷学海の何代前かの、下里知足のところに『笈の小文』の旅の途中の芭蕉が立ち寄り滞在したという。
芭蕉が連句を添削していて、けっこう厳しいとか字がうまいとか色々あるけれど、こういう一次資料がたくさん保存されて研究されているというのは強いよなあ。

ほしざきの闇をみよとや啼ちどり

芭蕉の発句自画賛をみて、俳句はあまりわからないけれどしみじみといいなあと思った。

学海のときに、富士山を見に行く途中の池大雅が立ち寄って、学海が浴衣を贈ったら大雅がすぐに自分の書画デザインで染め抜かせて、それを着て富士山に登りに行って帰りに学海のところに残していったっていう浴衣もあり、交流がよく分かる。めっちゃおしゃれやん……。
あと蕪村と尾張俳壇の関係を示す書簡もいろいろあって、加藤暁台の名前も知る。呉春ともやり取りがあったよう。
蕪村の画風を継ぐ者として横井金谷が何点かあった。
京都でめっちゃ顔の強い鍾馗図を見ていたけれど、本人もけっこうアクの強い人だったよう。
逸翁さんとこの呉春の鹿も来ていた。呉春を松村月渓と表示されていると、一瞬誰だったっけと思ってしまう。たぶんこの作者名表示の使い分けには意図があるんだと思うけど。

大雅はいろいろ画風を模索したようで、西湖勝覧図と浅間山真景図を比べると、線も遠近というか構図の感じもかなり違うのに驚いた。作者を隠されて2枚を見たら、同じ画家の作品とは思わないだろう。
京博の池大雅展はそういえば見逃したんだよな〜と検索したら、サブタイが「天衣無縫の旅の画家」だった。旅も大雅と蕪村の共通項なのかな。
蕪村は絖地(ぬめじ)に描くなど素材による表現効果をいろいろ試していたということ。銀地の山水図屏風の波の線!
好みでいうと、蕪村のちょっとした細部、シルエットみたいな船と船頭とか、そういう俳画からきたような簡潔な線なんだけどニュアンスがある感じが好き。

見ていて思ったのは、俳画と文人画って、今現在鑑賞者の視点でみるとジャンルが違うように感じてしまう……日本的なものと中国的なものと区切ってしまっていたけれど、当時の文化、蕉風を復活させたいとか旅への憧れ、中国の園林文化への憧れとかそういうムーブメントがもっと渾然一体としていたのかなというのが、自分なりに感じられた。

あとからプロローグからの構成を見ると、よくできているというか、資料を丁寧に追ってきて、第6章の「ふたりが描く理想の世界」に至ってぱっと花が咲いたような華やかさがあってとてもよかった。
そういえば大津の義仲寺展で見た、芭蕉の顕彰に尽力して義仲寺を復興した蝶夢ってたしかあれ目標が芭蕉の百回忌だったよな〜と思い、生年を確認してみたら蕪村が享保元年、大雅が享保8年、蝶夢が享保17年だった。
今まで自分が見てきた中で頭の中でできていた人物相関図にいろいろ名前が追加された、知識に厚みが出たのを実感できるような展覧会だった。

あと印象に残ったことは、王維は画もうまいというところ。万能か…。
それから十便十宜図につけられた増山雪斎の題字、「聯壁」がよかった。

いいもの見たなと思いつつ、せっかく名古屋まで来たのでもう少しなにか見て帰ろうと、地下鉄で移動する。
愛知県美術館の企画展、「ミニマル/コンセプチュアル ドロテ&コンラート・フィッシャーと1960-70年代美術」。
江戸時代から現代美術に頭を切り替える。
ドロテとコンラートのフィッシャー夫妻がドイツのデュッセルドルフで開いたフィッシャーギャラリー。場所と人、そこに呼ばれて来る/来ない作家。
展示室の1区画ごとにコンセプトがあって2、3人の作家が取り上げられ、とてもわかりやすい……というとちょっと違うかな、作家がどういうチャレンジをしたのか、説明がすっと入ってくる。
これまで他の美術館で見たことがある作家、作品もあったけれど、文脈が違うとだいぶ感じ方が違う。
たとえばインポッシブルアーキテクチャ展で第三インターナショナル記念塔のCGを見たあとでダン・フレイヴィンのタトリンのためのモニュメントを見るのと今回ではもう、大いに違う。

コンセプト色が強い作品を見るとき、実物を見ることに意味があるのかなとたまに思う。そういう作品ですと文章や写真で見れば十分というか。
たとえばデュシャンの泉のオリジナルが発見されました!!!来日!!!ってなったとして、見たいかというと別に…ってなる。(絶対見たい人もいると思うけど)
それでもここでの展示を見ていると、フィッシャー夫妻が、河原温が何時に起床したとだけ書かれたポストカードを毎日ポストの中に発見した体験は想像するしかないけれど、ただ文章で読むよりもよりリアルな追体験にはなるかなと思った。
1枚だけ何時に起きたという文字列がなくて、この日はなんだったんだろうと気になったし、1枚は郵便事故かなにかで届かなかったというのも世界に複雑さが増してとてもいい。
場所と人のつながりに注目していることで、当時の熱が感じられる展示だった。

ミニマル/コンセプチュアル展のチラシ

チラシにも書かれている。そこは小さなギャラリーだけど、そこで展示する作家はそこに収まりきらないほどの
「I Have Big Plans.」

作品としては、ベッヒャー夫妻の写真はやっぱり好きだな。たくさん見られてよかったし、いくら見ても飽きない。
ここのギャラリーで取り上げられてそういう文脈で紹介されたというのはよくわかった。手頃な作品集ほしいな。
あとリチャード・ロングの「歩行による線」が好きだった。

序文を見て、もしかしてわざわざここで見なくても兵庫県立美術館に巡回してきたかなーと思ったけれど、逆に1回目と2回目、愛知と兵庫の違いを感じられるかというのも面白いかもしれないので、もし余裕があったら兵庫でも行くかもしれない。
閉館時間がせまってきていて、常設の方ではクリムトの黄金の騎士に久しぶりに再会して、分離派をさらっと見て新収蔵品展は通り過ぎるくらいしかできなかった。

名古屋駅に移動して、お土産を買いがてら赤福を覗いたらちょうどお客さんがいなかったので、ぜんざいを食べて帰宅。

赤福ぜんざい