1週間の「超・名品展」

兵庫県立美術館 美術館・博物館

兵庫県立美術館の前身となる兵庫県立近代美術館の開館が1970年。
開館50周年「超・名品展」が本来は4〜6月の開催だったが、自粛期間を経て会期終了間際の1週間だけ予約制で開催されると聞いて、予約して行ってきた。

展示対象は1870年代から1970年代の国内作品ということで、普段だったら興味範囲内じゃないと見逃していたかもしれないが、周年記念と名前がつく展覧会はだいたい館として力が入っていることが多いと思うので、その記念展が1週間しか開催できないのは惜しいなと感じたのが大きい。
たまたま「窓展」で兵庫県立近代美術館が作品舞台となったTHE PLAYの「MADO」の資料を見ていたことで、(建物は違うが)ハコへの興味が多少あったことと、ここ数年で江戸時代の絵画は多少見てきたけれど、この時代の知識はほとんどないなと改めて思ったので、それらも行く動機になった。

名品展って言われて真っ先に思い浮かぶのは、奈良国立博物館の仏像館の展示がいつも「名品展」なこと。
名品とは、まあ「いいもの」のことだろうと思うけれど、じゃあ「超・名品」とは?
図録の文章を読むと、過去の開館記念展をふまえつつ、
・作者の事跡に照らしあわせて興味深い作品
・美術と社会、作家と作品、作る側と見る側などの関係性において示唆に富む作品
・近年の調査研究で価値が再認識されたもの、新しく発見されたもの
などが選ばれているそうだ。

といってもほとんど知識のないど素人の自分にとっては作家の名前すら初めてなのがほとんどなので、なんら先入観なくその作品を見るしかないのだが、今回の展示はキャプションの文章に力が入っていて、そうした見どころが丁寧にわかりやすく紹介されていたので、とても興味深く見ることができた。

展覧会の最初は高橋由一の「豆腐」から始まる。

「超・名品展」の図録、表紙は高橋由一の「豆腐」

図録の表紙にも使われていた。
明治時代の油絵の具を使った絵は、人物画でも風景画でもなんか茶色っぽくて地味…な印象があったので、豆腐にはちょっとびっくりした。この時代、思っていたよりもけっこう多様な画題があるらしい。
香りまで想像できる焦げ目、もったりとしたあぶらげの質感、まな板の表面の感じ。
新しい画材を手に入れた明治の画家が、それを使ってどんな表現をできるのかという模索。そういったことが、いきなり腑に落ちた。

一作品一作品、周囲の人と距離を開けてゆっくり丁寧に見ていく。
2月に高島屋で「若冲とゆかりの寺」を見て以来の展覧会なので、目が貪欲になっているせいなのか、目に入ってくる情報量がとても多い。
今図録を見つつ思い返してどれが良かったのか好きだったかとひとつひとつあげていこうとすると、ほぼすべての作品に言及しないといけなくなってしまいそうだ。
今回特に好きだなと思ったのは、佐伯祐三「リュクサンブール公園」、小出楢重「喇叭のある静物」、白滝幾之助「老母像」、梶原緋佐子の「唄へる女」…やっぱりきりがない。北脇昇の「独活」もめちゃ気になった。
菱田春草の「暮色」の線の美しさ。そばに寄って見ると木の枝を表現した線が自由自在で気持ちよくて、少し引いて見たときの線の描き込みのバランスも気持ちいいの。
あと竹内栖鳳の「揚州城外」があって、ほんと目のご馳走だった。
岸田劉生の「壺」は本当にただ壺が一つ描いてあるだけなんだけど、焼き物の肌ツヤや色合い、絵、全体的な色のトーンとかなんだかとても目を引きつけられて、その前から立ち去り難かった。
彫刻もいろいろあり、北村四海の大理石から現れ出た肌の質感!
それに毛利武士郎の「シーラカンス」もよかった。めっちゃぐるぐるまわって見たし、舟越保武の「ダミアン神父」もよかったなあ。相対していつまでもその人のことを考えていたかった。

本当に今回は貪欲に丁寧に見ることができたので、どの展覧会に行ってもこの感じを忘れないようにしようと思う。

それから、今回知った金山平三の絵が「下諏訪のリンク」「大石田の最上川」と2点あり、とても好きだった。
最上川の方で画家の言葉が紹介されていて、「何処を見ても描けるので気が散ってならぬ」という…美しい風景を前にして描く喜びの最中にいる画家のこの言葉が、久しぶりに展覧会を訪れて、鑑賞できる喜び、まだまだ世界には見るべきものがあると感じていた自分にとってかなりしみじみきた。

この日は特別展に時間をかけすぎて常設までまわる時間がなかったが、この美術館の中に金山平三記念室があるので、次回訪れるときの楽しみとしたい。

未だ美しさが見える小生には絵描きの幸福を味わっている。うっかり早死にしてはならぬ。