讃岐旅行2日め 神社めぐり

旅行

高松2日目。

早朝、静岡の実家からのメールで目が覚める。
「こちらで地震がありましたけど大丈夫です」
ニュースを確認しようかと思ったけれど、相方がまだ寝ていたので、まあ大丈夫というからには大丈夫なんだろうと考えて、ホテルのお風呂に入りに行く。
7時に相方も起きたので、TVをつけてびっくり。静岡で震度6の地震。
あわてて実家に電話をかけるが、込み合っていて通じない。
mixiやついったーで地元の友人の日記やつぶやきをチェックすると、みんな無事らしい。
そのうち実家から電話がかかってきて、特に何も被害がなかった(写真立てが倒れたくらい)と聞いて安心する。

予定通り8時にホテルを出発。

瓦町でレンタル自転車を借りる。
初めてなのでカードを作り、借り方を教えてもらうが、便利ですね、これは。
1回1日100円とべらぼうに安いし、返却場所も借りた場所まで戻らず、好きな営業所に返せるし。

そして地図を見ながら少し走り、うどんバカ一代で朝うどん。

かけ並。
最初の一口目で、なにこれおいしい、という感動。
あまりのおいしさに、朝からつゆまで飲み干してしまった。

お店を出て高松駅まで自転車で走って自転車は返却。
今度は予約しておいたレンタカーを借りた。
2日目の目的は、うどん及び神社めぐりで、公共交通機関では移動が少し不便だったのだ。

車で2軒目のうどん屋さんに向かう途中、讃岐一宮の田村神社に寄って参拝する。

普通の石の鳥居の内側に、2本の石柱と綱が渡された鳥居(?)を香川ではよく見かけた。
参道の両脇に整然とこぶりできれいに刈り込まれた松の木が並んでいる。

田村神社の真横に宇都伎社が並んでいる。

これだけ大きい鳥居がこんな感じで並んでいるのは、めずらしいかも。
ほかにも素婆倶羅神社や七福神など色々あり、敷地はけっこう広く、史跡もいろいろある。
朝の掃除、水まき中の境内を散策していると、携帯に電話がかかってくる。
出てみると、レンタカーの事務所からだった。

「明日借りられる予定の車がですねー。」
「はいはい。」
「つぶれちゃったんですよー。」

こういう時、どういう言葉をかければいいのかわからない。
どうやら翌日墓参り用に借りる予定だった別の車が準備できなくなったので、料金はそのままで、1ランク大きな車になるけど良いか? という相談だった。
特に異存はない。

けれど、故障でなくつぶれた、か……。今もレンタカーを借りているのに、なんだか不吉な……。
急に心配になってきたので、拝殿に戻って、安全運転を心がけます、と改めて誓った。

少し歩いて腹ごなしになったところで、次のうどん屋さんに向かう。
途中で、名古屋、尾張小牧、三河ナンバーの車に囲まれる。
なんなんだろう、この愛知県民率の高さは。これで豊田ナンバーもいれば4カード?
思っていたよりも移動に時間がかかり、2軒目の山越うどんに着いた時には11時近くなっていた。
普段は行列が嫌いなので敬遠していたが、1度くらいは行列ができるような有名店で食べてみようということで、来てみたのだ。

行列に並ぶこと20分ほどで順番がきた。
かまたまが有名らしいのだが、暑くてとても熱いうどんを食べる気分ではなかったので、冷たい月見山を注文。

かける出汁がおいしい。
うーん、おいしいはおいしいんだけど、朝イチのうどんと比べるとそれほどお腹がすいていなかったせいか、行列に並ぶほどではないかな、というのが正直な感想。
向かいに座った人が、よりによってじゃがいもとさつまいもの天ぷらを食べている。どれだけ炭水化物好きなんだ。

食べた後は、また怒涛の神社めぐりだ。
今回、讃岐で神社を巡ろうと思って考えたテーマは、讃岐院とも呼ばれる崇徳天皇ゆかりの神社だった。(今回の日記では、表記を崇徳天皇で統一します。)
保元の乱というと、私の守備範囲からはちょっとずれるのだが、御霊信仰なんかのことを考えるとどうしても崇徳天皇は避けて通れない、気がする。

そういうわけで、うどん屋のあった綾川町から白峰山に向かって北上する。

その途中、五夜嶽と白峰山の間にある式内社、神谷神社に寄る。
ここは崇徳天皇ゆかりというわけではないが、名前が良いし、本殿は国宝らしいし、というわけで寄ってみた。
すぐそばを川が流れていて、なんとも涼やかだ。

ご祭神は火結命、奥津彦命、奥津姫命。
神々が集い遊ぶ谷として「神谷」と呼ばれ、裏山に磐座があるらしい。
拝殿からは、本殿の姿がよく見えない。

ここで周囲をぐるりと一周しようとしてうっかり気がついたのだが、夏の神社巡りでは必需品の虫よけスプレーを、大阪からわざわざ持ってきたのにホテルに忘れてきてしまったー。

周囲はかなり草木が生い茂っているので奥まで踏み込むのに躊躇しつつうろうろしていると、きらきらするものがしきりに見えるので、なんだろう、綺麗だな、とぼんやりしていたが、少ししてやっと思い当たった。
蝉のおしっこだ!!

退散した。

車を走らせていると、すぐそこに白峰山が見える。

崇徳天皇が亡くなり、白峰山に葬られる道筋に神社がある。
ところどころ車線がなくなる狭い道を上っていくが、案外車が多い。

まずは血の宮、高家神社。
崇徳天皇のご遺体を運ぶ途中に荒天に遭い、足を止めたところ、棺から血が流れたということから血の宮と呼ばれているそうだ。

中には拝殿、本殿のほかにもいくつか祠や妙見宮があったけれど、由緒などが書かれた案内などは見当たらなかった。
すぐ隣の観音寺に比べると綱も古びているし、少し荒れた雰囲気。

観音寺には三面大黒天があったので、大黒さん好きとしては見逃せずお参り。
七福神みくじをひいてみる。大黒さんがひけたらうれしかったのだが、引いたのは福禄寿。人望の神様か、なんか痛いところをつかれた気分に。

少し気味悪いこともありつつ、血の宮を出発。
山道をまたひたすらのぼる。自転車で登っていく人を追い抜く。大きな滝が見える。
そして、白峯寺という弘法大師、智証大師の開基というお寺にたどり着いた。
道路の脇にある石仏なんかも趣がある。

ここではお遍路さんもけっこう見かけたが、今回の目当ては神社なので、本堂までは行かなかった。(暑いので、階段にめげたのもある)

御陵を探す間に、西行の句碑なども見かけた。
高校生の頃、『雨月物語』を読んだときは、いつかここを訪れることがあるなんて思いもしなかったなあ。

頓証寺殿の前には相模坊大権現の像が。
日本八大天狗の1人で、白峯山の守り神となって崇徳天皇の御霊を鎮守するために相模からきたという。
相模と讃岐、どんなご縁があったのかしら。

そしてやっと御陵への道を見つけ、少し奥の方に歩いていく。

崇徳天皇白峯陵。
ここまで来るともう言葉もなく、自然と頭を垂れた。

いったん山の下までくだり、青海神社を探す。
カーナビでは山の麓に表示されているのだが、麓はけっこう細い道が入り組んでいて、簡単に近づけそうにない。
いったん大きな道に出て、白峰山を見つつぐるりと周り、それらしき鳥居を探す。

青海神社に着くと、白峰陵への道という大きな石碑があった。
ここから陵墓まで上がれるらしい。

崇徳天皇(今回、表記を崇徳天皇で統一しています。)を荼毘にふした時、その煙がここにとどまりこもったことから建てられた神社で、煙の宮とも呼ばれているそうだ。

そして神社めぐりの最後は、崇徳天皇の埋葬の道のりから考えると最初に行くべきだった白峰宮だ。
八十場の駅の近くなのは分かっていたが、車だと線路の向こうに行く道がよく分からなくて、少し迷ってしまった。

白峰宮の鳥居は珍しい三ツ鳥居。
崇徳天皇が亡くなられた後にそのご遺骸をどうするか、京からの連絡を待つ間、当地の八十場の清水に浸して安置したそうだ。
そしてこの地で祀られ、天皇さんと呼ばれているらしい。

隣の天皇寺にはけっこうお遍路さんが訪れているようだったが、こちらは静か。
これで、本日予定の神社めぐりは終了。
行けなかったところもあるけれど、またの機会ということで。

神社めぐりを終えて、余力があればもう1軒うどん屋に、と思っていたけれど、暑さで食欲がない。というかお昼に食べたうどんが全然こなれた気がしない。

ここまでの神社めぐりでけっこう疲れていたらしく、主に狛犬を激写していた相方の機嫌も少し悪くなっていたので、八十場名物のところてんでも食べようか? とお伺いを立ててみたけれど、お腹いっぱいだからいらない、とあっさり言われてしまい、神社めぐりはおしまいとしてそのまま次の目的地に向かうことにした。