「因幡堂平等寺」と一遍聖絵

因幡堂平等寺展フォトスポット 美術館・博物館

龍谷ミュージアムでやっていた「因幡堂平等寺」展に行ってきた。
因幡堂は今回の展覧会まで存在を知らなかったが、なかなか大きな規模のお寺だったらしい。
御本尊が因幡から飛んできたという伝承がある。
お寺の年表では、1414年に醍醐寺の黒衣の宰相満済准后が参詣、1416年には足利義持が参籠とあった。
それから本寺は元々園城寺だったのが、1418年に聖護院の末寺というように。このあたりでなにかごたごたあったんかなーなどと思いつつ眺めた。
近世になっていくと、だんだん町方の、町民のお寺さんとしてにぎわっていったそう。

展示の最初はお寺のはじまり、因幡堂縁起から。
鳥取の座光寺の縁起では飛んでいった薬師さんの後に来た新しい仏像が残された台座に乗るのを拒否っていた。
仏像は岐阜延算寺からお越しの薬師さんとか良円等作の清凉寺式釈迦如来とか色々あったが、特に鎌倉時代の如意輪観音さんが美しかった。
同じく鎌倉時代の毘沙門天は兜が着脱できるようになっていて、像の頭には兜でつぶれてぺったんこの髻の表現があるというのが面白かった。大黒さんはでかかった。
江戸時代の三面大黒天、三面六臂で第三手で象皮を広げているの初めて見た。それから呉織神、漢織神などの珍しい像もあった。

御本尊はその厨子の背面に取り付けられた大きな木製の車輪が見られたのが良かった。いざというときはこれを引いて逃げる、御本尊をお守りするという強い意志を感じる。これも都のリアルであることよ。
それから御本尊の御影の版木があったが、台座と光背は因幡に置いてきたからということで碁盤に乗っていらっしゃったのが面白かった。

伝土佐光茂の薬師三尊十二神将像は脇の十一面観音が白鹿に乗っていて、三尊が春日大社の二宮、四宮、若宮を表しているのではないかという、このへんの春日信仰との習合てなにか面白そうなので、本があったら読んでみたい。

常設の方では永観堂の逆手来迎印の阿弥陀三尊像、二尊院で三躰とも坐像である阿弥陀三尊来迎図などを見た。あと園城寺の仏眼曼荼羅とか。

図録を読むと高島屋の創業者が大檀那の一人で、若い頃の竹内栖鳳が高島屋の下絵の仕事をしていて、自宅が狭いから因幡堂の座敷で作業していたという話が書いてあった。

因幡寺の薬師さんの懸仏

ロビーにあった薬師さんの懸仏。

ミュージアムを出て国立博物館まで歩いていった。

国宝一遍聖絵と時宗の名宝展看板

「国宝一遍聖絵と時宗の名宝」展。
遊行上人縁起絵巻などはこれまでも京博の常設で特集されていたのを見たけれど、今回は特別展で、わりと空いていたことも、あってじっくりと一遍聖絵を鑑賞できた。
上人が平等寺に行く場面がちょうど展示されていて龍谷で見た展示とつながりうれしい。
時間の都合で駆け足になってしまったが、京都聞名寺の行快作の阿弥陀三尊像、岩佐又兵衛の洛中洛外図屏風が見られてよかった。

あと二河白道図というのが展示の説明を見てもよくわからなかったしとても気になる。島根萬福寺の見たかったなあ。これから見る機会があったら注意して見てみよう。