滋賀県立美術館に行ってきた。
川内倫子さんの作品は知らなかったが、去年訪れたときの美術館の印象が良かったので、少しでも引っかかる展覧会があれば再訪しようと思っていた。
白い壁に淡い色合いの写真が展示されている。
今回の展示で強い印象を受けたのは2つの「窓」だった。
最初の窓は小さな展示室に開き、外から内側を覗き込むとともに、内からは外を見ることができる。
窓を額縁に見立てると、人形の顔を幼い手が包み込む印象的な写真が見えるのだが、部屋の中にいてふと窓に目をやると、そこを通りかかった人が覗き込んできて窓を介してちょうど目が合うということがあった。
美術館で他のお客さんと視線が合うという経験はめったにない。自分が見る側から見られる側に一瞬なるのには気まずさがあり、ちょっとおもしろかった。
もう1つの窓は庭園に面した休憩室。
ここに阿蘇の山焼きがあるのは本当に印象的だった。こんな展示の仕方があるんだ、と思った。
山焼きがすすみちょうど半分が黒くなっている。わかりやすい死と再生。
色彩が淡いから、なんとなく被写体がリアルなのかどうか迷う薄膜を通した感じがあった。
被災地の白と黒の鳩とかあまりに出来すぎていて、まあそんなのに出くわしたら撮るよね…。
2つの画面が並び次々に切り替わっていくスライドをのんびり見ていて、大きな風景と虫くらいのサイズの小さな世界が脈絡なく流れるのを眺めていると、自分がなにかの物語とか意味、意図を見出そうとしているのに気がついて、とりあえず何も考えずに見ようと力を抜くようにした。
すると、ふと、自分の頭の中が「自分」でいっぱいになっているなと気づいた。
まあここ数年たくさんの心配事とかを抱えていっぱいいっぱいになっていたのは確かなんだけど…いきなりそんなぎりぎりいっぱいいっぱいの自分が俯瞰的に見られる瞬間が来た。
別にこの映像が喚起してきた、というはっきりしたタイミングがあったわけじゃないけど、不思議な感触だったなあ。
その時初めて、同じ部屋に並んで映像を見ている人たちは今何を考えているんだろうなと思った。
見ていたなかでは鯉が泳ぐ映像がよかったな。濁った水の色をフィルタにして見るなめらかな色、動き。
天井から床に向けて水面を映し出す小部屋も面白かった。
手元のチラシに映してみる。川を渡る趣向。
好みでいえば阿蘇と島根、嘆きの壁が組み合わさった部屋が好きだった。
常設にも「川内倫子と滋賀」の特集展示がある。
ものを作る、創造するというのはひたすらに尊敬できる行為だ。
人を撮った写真にも意外と好きなものが多かった。
ハッピーバースデーと、サッポロ一番ここに持ってきて大丈夫だった?というのが残った。
常設の特集にもう一つ、中村貞以。これだけの数を一気に見るのは初めてだった。
伊勢のお杉お玉、踊りの練習をする舞妓ちゃん、芸事をする、踊る女性に魅力があった。
外に出て彫刻の庭も少し歩いた。
前回来たときは美術館でお茶を飲んだが、今回は公園内にある夕照庵でコーヒーセットを頼んで、庭園を見つつ休憩して帰宅。