九州旅行3日目。台風の接近を気にしながら早朝起床。
6時台の電車で移動開始して、8時40分頃に大分の中津駅に着き、レンタカーの手続き。
今回はルーミーという車を借りたら、400km程度しか走ってないほぼ新車だった。
台風の中酷使することになる。
最初の目的地、大分県立歴史博物館へ。「聖なる山」展。
養老2年に六郷満山の多くの寺院を開基したと言われる仁聞に焦点を当てて、由緒、縁起の書かれた文書類、仁聞作と伝えられる仏像などが主に展示されていた。
仁聞は八幡神の化身で、伝説上の人物だそう。空海とか行基とか、お寺を開いた著名なお坊さんが伝承に彩られるのはよくあるけど、そのお坊さん自体が神というのは珍しい気もする。
条帛の木目が印象的な像があって、そういえば九博で見た文殊仙寺の文殊さんの渦巻きみたいな文様は、木目の表現かもなとちょっと思った。
九博で見た十王像はこちらでは複製だったけど、表情が面白い木製の十二神将像があった。悪い顏ばっかりだこれ。
千燈寺の石造太郎天は完全に天狗だった。羽に赤色が残っている。
それから久福寺の大日如来が、鼻筋に木目が残り口角が上がったふっくら唇で、とても印象的ないいお顔だった。見て、あっこれ好きな仏像と思った。
あと写真パネルを見て、国東の今まで知らなくて面白そうな場所をいつか行くときがあるかもとメモしたり。
ここの博物館は常設もわりと国東特集みたいなものなので、特に最終日に富貴寺に行く予定だったので、大堂の復元は丁寧に見た。
民俗資料の多い暮らしと祈りコーナーがけっこう変わったものがあって面白い。
なるべく時間をかけてじっくり見たかったけど、この日大阪から来た旦那と待ち合わせしていたので、あまり待たせないように中津駅にとんぼ返り。
11時に駅で旦那を拾って、道の駅に行ってお昼を食べつつ今後の予定を相談することにした。
旅行の日程の中ではこの日の予定が最もタイトだったので、台風が接近する中、ぎりぎりまで予定通り行動するか、念のため安全を優先して早く宿に向かうか迷っていた。
しかし道の駅で出迎えてくれたこいつに、天狗の山に行くことはもう宿命づけられていたかもしれない。
何度も天気を確認して、求菩提に向けて走り出すことにした。
求菩提資料館の存在は、2年前に甘木資料館に行った時に知っていつか行ってみたいと思っていたのだが、峠を登ったり下ったりして、だんだん道の脇に石造物があるのが見えて、修験の山だな~としみじみしつつ雨で視界の悪い中をけっこう登った凄いところにあった。
展示は思ったより豊富で、八天狗像とか食いつく。
甘木で見た天狗曼荼羅の謎がやっと解けた。あれは主尊が太郎天で、八天狗だったんだなー。
国東の長安寺の太郎天は本地仏が不動明王ということだけど、この天狗曼荼羅だと太郎天の脇侍が不動明王と毘沙門天なんだよなー。
常設展の図録があったので、手頃そうなものから購入。無料配布という資料をつけてくれた。また改めてじっくり読みます。
天狗を祀るというのが面白いと思う。神社なんかでも拝殿に天狗のお面がかかってたり。
続いて英彦山に向けて走る。
連続降水量200ミリ以上で通行止めという看板に冷や冷やしつつ、峠を登ったり下ったりしているうちにGPSがロストして、現在地がどこかわからず走り続けていると、天狗を祀るという高住神社が見えて、合ってた~と安心した。
この天候でなければ登っていたと思うけれど、ここで断念。
そしてもう少し車を走らせて、英彦山神宮の下にたどり着いた。
登りはスロープカーに乗ることにして、待つことしばし。
なかなかゆっくりした動きだった。
奉幣殿は巨大だった。
お参りして取り急ぎ奥の方にある修験道館へ。
九州歴史資料館の図録で予習しておいた懸仏などをここで見ることができた。
求菩提には平安仏が残るのにこっちの仏像は鎌倉以降だったり、近いようでなんかしら違いがあるのが面白い。
帰りは参道を徒歩で下った。
階段の左右に残る坊舎の跡や庭園廃墟を見ながら下り、振り返る。
山頂に向けてはるかにまっすぐ続く廃墟を従えた参道を登っていったら、中腹に霧に包まれた巨大な神社の建築、旧大講堂が現れるという非現実的なイメージが頭に残って、随分幻想的な体験をした気がしていた。
晴れた日に訪れていたらこういう感慨はなかっただろうな。
最後に伝雪舟作庭という亀石坊庭園跡を見る。石組が残っているけど、ここから往時を想像するのは庭園素人には難しい。
すぐ近くに山伏文化財室とか財前坊を利用した歴史民俗資料館とかあるらしく、寄りたかったけれど、天候と時間の都合でここまでが限界だった。
またいつか来られますようにと願って銅鳥居をくぐる。
道の駅歓遊舎ひこさんに寄って多少買い物をし、3日目の宿の黒川温泉に向かった。